ブリッジポートプレイのプレイ日記を妄想たっぷりに書き散らかしたもの。
更新は気が向いたら、思いついた順に追加するので、時系列に沿った更新ではありません。

まあ、妄想の倉庫です。倉庫。

クオリティ? 知らんな。

ハミング・ハミング

-マシューとニコール

出会い

ニコール・ロスという政治家がいる。

彼女が若くして行政府の長になって以来、表だけ派手なブリッジポートの、お世辞にも豊かと言えない町並みが少しずつ整えられ、公園には緑とレジャー施設が建築され、やがて子供の姿が増えた。あまり政治に興味がない僕でも、すぐに街の変化に気づいたくらいだからね、なかなかの敏腕といってもいいんじゃないだろうか。

彼女に初めて会ったのは、政治家のよくあるパーティさ。
街の名士・セレブを集め、笑顔を振りまき、時にはベッドの上で語り合い、金を集めてまわるアレだ。

多分、この街で一番有名な俳優である僕は、そういった催しによく呼ばれる。
実際、ニコール・ロスという政治家と面識はなかったけれど、そのパーティにいたんだからね。
まったく知らない人物だって、名前さえ知っていれば、この世界では友人なのさ。

人と会うのは嫌いじゃないから、それはそれで、僕は楽しんでいる。そういう精神が人生を豊かにするんだろう?

「マシュー、彼女がニコール・ロスだよ」

紹介された時、彼女は僕に背を向けて、軽薄そうな黒髪の男と話をしていた。

「ニコール!」

その時彼女を呼んでくれたのが誰だとか、実はあまり覚えていない。
なぜって? 僕は彼女の白いうなじに見とれていたから。

彼女は太陽のような、ひまわりのような、濃い金髪をしていた。
恐らく豊かに波打つボリュームがあるのだろうけれど、パーティ用に高く結い上げられていて、それがちょっと勿体ないなと感じた記憶がある。

ま、それは美しいうなじを男どもに見せつけてまわる魅惑の戦略的ヘアスタイルで、まんまと僕も虜になったってわけ。

「ニコール、こちら、マシュー・ハミング」
「マシュー・ハミング!」

彼女は落ち着いた声で僕の名前を呼び、そして無邪気にニッコリと笑ってみせた。

「この街へ来ると聞いた時から、いつか貴方に会えればいいなと思っていました。あなたが主演した『スペシャルな雪のかけら』、私、ディスクがすりきれるかと思うくらい観ているんです。セリフもそらで言えますよ。ふふ、嬉しい」

そして、僕をキラキラした目でじっと見た。

こんな挨拶なんて呆れるほどありきたりなもので、普段なら別になんてことなかった筈なのに、僕はちょっと、身動ぎできなくなっていた。

彼女の瞳は、街から見える海のような輝きだ。あまりキレイな海じゃないから灰色だけど、それでも、光を反射する様は美しいんだ。

僕が生きるブリッジポートは夜が本番で、昼の間はだいたい街の汚い部分がよく見えるのだけれど、太陽の髪と海の瞳を持つ女性が照らしていれば、きっと素敵になるんじゃないかとか、そういう根拠のない幼い安心感を、僕は彼女に感じた。

これは一目惚れというんだろうか。

百戦錬磨のこの僕が?

この僕が!

橋の向こうとワンフロア

先日のパーティで僕がした寄付のお礼にと、彼女からカフェへの誘いがあった。
まあ営業の一環なんだろうけど、それでも僕はふたりきりが少し嬉しくて、少しフワフワと車に乗る。

なんだこれは、ティーンの男子みたいじゃないか。目は泳いでないか? 頬は染まってないかい?
こんなウブな動揺がまだ僕の中にあったなんてね。役の幅が広がったかな。はは。

カフェは会員制で、パパラッチやファンがいないのはありがたい。
僕はそのどちらにも神経質なタチじゃないけど、顔を見たくない時だってある。

明るい日差しが差し込むテラスで彼女が珈琲を飲む姿は、若さもあって普通のOLのようにも見えて、とてもじゃないけど、政治家として辣腕をふるう女丈夫には見えない。
普通にしていればきっと穏やかで優しい日々を過ごせる人だろうに、なぜ、わざわざ過酷な政界に身を置くのか、出会った時から不思議だった。

素直は僕の美徳のひとつだ。だから、わからないことはいつでも尋ねることにしている。不躾でも、知ったかぶりよりマシさ。

「君はなぜ政治家に? あまりそういうふうには見えないけれど」
「そのギャップが魅力でしょう?」
「まあそうだね」

彼女は上目遣いに笑って、カップを置いた。

「・・・今あなたがそう見たように、自分が普通ってわかってるからよ」
「哲学の話?」
「いいえ」

僕はゆったりと足を組んで、椅子に背を預けた。
長くなりそうだ。

ニコールは、少しだけ唇を噛んだ。
どこまで僕に話していいか、逡巡しているようだった。

やがて顔をあげ、まっすぐに僕を見た。
あの、この街の海の色の目で。

「普通の人がね、安心して普通でいられる社会を作りたいの。世界を作るのはスターや英雄だとしても、それを支える大勢の人たちが、普通に幸せでいられる世界を作りたい」
「ふむ」
「世の中は、スターやヒーローが動かしているように見えるわ。でもね、彼らひとりが動くのに、たくさんのそうじゃない『普通』の人がいるの。その人たちが好きなの」
「・・・スターやヒーローは傲慢でいけすかないと?」
「そんなことは思ってないわ。英雄も普通も、立場の話ってだけで本質的な価値は一緒だもの。世界にスターが必要なのも事実なのよ? だから、どんなに平等な世界だって、人は英雄と凡人に別れるの。それは資質の問題だし、それをなくすことは不可能だと思ってる」
「なかなか言うね。君自身はどうなの? 英雄? 凡人?」
「私は自分が普通だって知ってる。世の中の仕組み・・・ヒーローカーストね、その中では、下の方に生きてるわ」
「ヒーローカースト。ふうん」
「どんな小さなコミュニティにもあるのよ、それは」
「・・・そうだね」

それはつまり、人間関係だからね。

ショービズの世界なんて、つねに自分と相手の順位を争っているようなものだ。
他人から評価される順位。それが全ての人間が右往左往して、やがてどこかへ去っていく。
毎日実感しているよ。

彼女は頭の中から最適な言葉を探りだすように、テーブルの上に飾られた花に視線を合わせながら続けた。
僕はボーイに二人分のおかわりを頼む。

「問題なのは、昔の階級制度のように立場が固定されてしまうことよ。本人の資質に関係なく。世の中は平等じゃないけど、平等にチャレンジできなくちゃいけないわ。だから環境を整える、それをするのが私」
「・・・」
「ブリッジポートに赴任したのは運命だと思った。何人かの雲の上の英雄と、そうじゃない人々。丘の上で煌めく橋の向こうのセレブと、ワンフロアをシェアする称号のない人」
「ん、なんだか雲行きが怪しいな」

ニコールは久しぶりに僕の目を見て、くすっと笑った。

「そうね、あなたと私かも」
「その例えは好きだな」
「そう?」

せっかくこちらを見てくれたのに、彼女はまた、自分の思考のうちに沈んでいったようだ。

「不公平も理不尽も悪いことじゃない。ただ、それが続くと人は死にたくなるわね。だから、適度な衣食住と、適度なチャンス。英雄だって普通だって、勤勉な人も怠惰な人も良い人も悪い人も、その行動が結果に結びつく仕組み。それをきちんと機能させるの。政治をするのに十分な理想でしょう? やる価値がある」
「それをするのに君は表に立つんだろう? それなのに自分を普通と言うのかい?」
「私がやるのは準備。仕組みを作ること。その後は人を率いる人がやった方がいい。この時に必要なのはスターなの。そこまできたら後は簡単。私は去るだけ」
「それは悲しい生き方のように思える」
「悲しくないわよ。だって理解してるから。それが『普通』を全うするってことよ。誇りを持つってことよ」

僕が口を開こうとしたところで、ニコールのバッグの中から電話の呼び出し音。
いいところで邪魔をされた。

彼女は僕に小さく会釈すると、電話の向うの人間に応える。そろそろ時間が終わりだと告げる声のようだ。

つまり・・・ここでのデートも終わりか。

あれは、電話というより目覚ましだな。夢はいつでも無粋に醒める。わかっているけど恨めしい。

「うん、わかった。今行きます・・・それじゃあ、マシュー・ハミング、ご寄付いただきありがとうございました。それから・・・話を聞いてくれて、それもありがとう」
「どういたしまして。君の熱弁は、なかなか聞きごたえがあったよ。賢くなった気分だ」
「・・・よく喋る妙な女と思ってくれて構わないけれど、あなたがそれに失望して、政治への関心を失わなければ良いと思うわ」
「誤解させたら謝るが、僕は真面目に生きてる女性にイヤミを言う男じゃない」
「ええ、よくわかってます。ファンだもの」

伝票を手にしてウィンクをした彼女には、どことなく照れが感じられた。
自分の理想をしゃべった恥ずかしさなのか、それとも・・・いや、間違っても、僕と一緒にいる高揚感からではないな。うん、自意識過剰だ。

自意識過剰ついでに、もうひとつ。

「最後に聞いてもいいかな」
「なに?」
「君にとって、僕はやっぱり英雄? それとも普通だった? どちらなのかな」
「さあ、あなたがなりたい方ね」
「やっぱり哲学じゃないか」
「うふふ」

笑顔で手を振って店から出ようとした彼女が、ふと足を止め、僕の元へ戻って来る。
そして、ふわりと顔を覗きこむようにして言った。少し小さな優しい声で。

「・・・スターがスターでいたくないこともあるって、それもわかってるのよ。それじゃ」

僕は、コーヒーのお替りを注文した。

永遠とヴァンパイア

-ウラジミールとアイーダ

帰ってきた女

最近、ブリッジポートで話題の、アイーダ・フランシスって知ってるか?

エキサイティングなステージをするポップスター。魂の旋律、ディーバの歌声。そそる身体。

かつて、同じ女がブリッジポートにいたのに、誰もそれに気づかない。まあ、そういう街だ。

昔のあいつは、もっと、いいとこの嬢ちゃんという雰囲気で、音楽をやっていたが芽も出ず、ちょっとした投資で暮らしていた。

何とかいう役者に夢中だったが軽くあしらわれ、そんな孤独につけこんで、俺はあいつと一緒に暮らした。誰かの家に寄生するのは得意だからな。

俺と暮らし始めるようになって、もちろん、いただくものはいただいて、そうしたら、恋した役者があいつを抱くようになった。

愛なんてない。他に男がいるということが資格なら、そんなのとても惨めだわ。

そういって泣いた。

ま、要は身軽なあいつが重かったってことさ。「愛」なんて言葉が口から出てくるだけでお察しだ。

そうして、彼女は別天地、ショーの街スターライト・ショアへ去った。

そんな女、この街には腐るほどいる。ここでは夢は破れるもんだ。よくある話。話題にもならない。

あいつがいなくなって、大きな暖炉のあったあの家が壊され空き地になって、そして俺はまた別の誰かに寄生する。

俺の頭にこびりついているのは、薄くゆがんだ泣き顔だけだ。

それから数年、あいつは再び現れた。スターライト・ショアでロックスターとして大成して。

身を守るようなキチンとした服を脱ぎ捨て、胸と腹と足を見せつけて、ある意味ブリッジポートらしい女になって戻ってきた。

俺はといえば、「最近、毛色が変わった仲間が多い」と愚痴る古参のエルヴィラばあさん(というと怒る)とつかず離れず、相変わらず誰かの家に住み着く毎日。

ゆっくりと年をとるヴァンパイアだ、変わらない俺のことがわからなかったわけはないだろうに、劇場の前ですれ違った時、あいつは初対面のようなそぶりで、「かつていた女によく似た誰か」のように振る舞っていた。

最初は本当に別人かとも思ったが、ニオイでわかるんだよ、俺たちは。

なんとなく、あっちでもまた泣いたんだろうと想像はついたが、まあ、無視したければするがいいさと放っておいた。

胸がでかくて腰の細い美人なら、男はだれでも好きさ。

案の定、どこのパーティへいっても、あいつの姿を見るようになった。いつも男が群がっていた。

何とかいう役者と同じく、5つ星のセレブと評されるようになったのもその頃だ。

本当、あっという間だったね。

悪い男

昼すぎにあいつのベッドで目を覚まし、冷蔵庫に放り込んでおいた血清ジュースで腹を満たした後、俺は部屋の主を探す。

といっても狭い1LDKだ、寝室の鏡の前にいるのはすぐにわかった。
開いたままのドアをノックする。

「噂のセレブ様にしては、普通のマンションに住んでるんだな」

鏡ごしに俺を一瞥して、面倒くさそうにアイーダは言った。

「そろそろ引っ越そうと思ってる。パパラッチもうるさいし」
「ふうん」
「あなたはどうするの? ずっとステラのところにいるの?」
「ま、流れ次第だな」
「クリーンが求められるスポーツ選手のところに犯罪キャリアがいるって、あんまりよくないと思うんだけど」
「出てけと言われれば素直に出てくさ」
「あなたなら、そうでしょうけど」

胸だけがかろうじて隠れる丈のキャミソールと浅いショーツ姿は、背中からでもなかなかに目を楽しませてくれる。
肌の面積の方が少なかった前のこいつとは大違いだ。

一体どうして、あのカタブツのあいつが、今ここにいるこいつになったのか、俺はそれが知りたくて仕方がない。

悪趣味だろう? いいんだよ。

「俺のことはどうでもいい。それより、あっちでのお前の話を聞かせろよ」
「話すほどのことなんてないわよ」

ぴしゃりと即答。予想していたな、これは。

ま、「何もない」という時は、大抵人間関係が絡んでるもんさ。
そして、女を大きく変えるなら、それはもちろん男だろうよ。

俺は自分の牙をむきだして、わざと下卑たふうに笑った。

「また、厄介な男にひっかかったんだな」
「あなたほどじゃないから安心して」

ほらな。

そして、それを聞いて俺があいつにニヤニヤと笑ってみせたのは、きっとからかうためだけじゃなかっただろう。
ブリッジポートでの「厄介な男」が、あの俳優じゃなくて俺になっていたんだぜ? この仄暗い歓喜の感情。

ほんの少し上ずった声で、俺は言った。

「俺はそんなに悪い男じゃないぜ」
「どうだか。そろそろ支度するから、帰って」
「・・・」

返ってきたのは、平板な拒絶だった。

・・・面白くねえなあ。

気の強い女は好きだ。俺に興味を持たない人間に傷つくほど、青くない。
だから別に、こんな返しをされたところで、失望なんぞ感じない。普通なら。

だが、昨夜、俺とこいつは2人きりだった。月明りの中、俺だけがこいつを見ていたんだ。あの時、確かにこいつは俺のものだった。
それはこの女だって感じていた筈なのに。

なのに夜が明けると、こいつはいつも別人になる。劇場の前で再会した時の女を着込む。
そして言うんだ。「こんにちは、はじめまして」。興味のなさそうな目で。

それを聞いてしまうと、俺は誰を抱いたかわからなくなる。
ただの行きずりの女か? 昔この街にいたお堅いお嬢さんか? 

本当に目の前にいるアイーダ・フランシスか?

それが面白くない。

俺はアイーダの手をひいて、ベッドに押し倒した。

「ちょ・・・ウラジミール! こういうのが悪い男っていうのよ、嘘つき」
「なあ、俺とつきあわないか」
「・・・は?」

そのままキスで口を塞ぐ。最初こそ身体を固くして抵抗していたが、だんだんと俺に対して従順になってゆく。俺の腕の中でだけ、ようやくこいつが現れる。
だから、なんだかんだ拒絶はされていないのだろう。だが、完全に受け入れられてもいない。

それにイラつく俺は、きっとこいつに夢中なんだ。

「・・・! ヴラッド・・・!」

抗議の吐息は甘やかで、のけぞる白い首も艶やかで、俺はさらに興奮する。

「もっと呼べよ。俺のものになれよ」

彼女の声は声にならなくて、俺に何と答えたか、わからなかった。

皮下の毒

-ウォーガンとマディソン

儀式

最初にもらったのは映画のチラシだったな。まだ駆け出しだった彼女に与えられた下積みの仕事だと言っていた。

何の気なしに受け取ったその紙の下でお互いの手が触れ合ったとき、熱が俺の手を焼いた。

火傷ではない。ただ熱く。
いつも冷えた俺に、彼女は熱く。

「掌は、わたし、いつも温かいのよ」

今、それを聞いたマディソンは笑って、その手で決して温まることのない俺の頬を挟みこむ。

彼女はいつもこうして温もりを分け与えようとする。
人間であったことのない生き物に、自分の存在を伝えるかのように。

その手を握り、引き寄せ、赤にも見える茶色の瞳を覗き込んでから唇を重ねるのは何回目だろう。

それは必ず彼女の家で、そうして逢瀬を重ねるようになってどれくらい経つのか。

いつ、どうしてこうなったのか。

もともと、俺は他人に深入りしないタチだ。彼女のことも、この街に掃いて捨てるほどいる、一山いくらの芸能人、くらいにしか思っていなかった。
ただ、なぜか、彼女はこの街のありとあらゆる場所に出没しているように見え、そのたびに身の置き所のなさに身を竦めているようだった。

ある夜、孤独を求めて向かった町外れのバーで、俺は彼女と何度目かの邂逅をした。

そのとき、客は俺たちだけだったと思う。
最初は、カウンターの端と端に座っていた。やがて、客の少なさをもてあましたバーテンが退屈そうに持ち場を離れ、フロアのシャッフルボードで遊び始めた。

空っぽのバーのスツールにとまる同志のような親しみが、ふと、二人の間に流れた気がした。

彼女は俺に微笑みをむけ、俺は立ち上がって彼女の隣に腰掛けた。

「あなた、ヴァンパイア? よく見かける」
「ああ」
「わたし、今度、吸血鬼に魅入られた女の役をやるの。すぐに死体になっちゃうけどね」
「人を殺すヴァンパイアはほとんどいない。人が人を殺す数ほどには」
「正解。わたしは人間に殺られるの」
「なかなか理解のある監督だな」
「その監督に、わたしは毎回ダメ出しされる。いつもガラスをまとってるんだな、マディソンって」
「ガラス?」
「そう言われる」

マディソンは少しため息をつくと、俺の肩に頭を乗せた。
誘っているとか、そういうセクシャルな意図を持って、ではなく、無邪気な親愛から来る仕草のようだった。まるで、重い重い荷物を少し持ってくれといった具合に。

「演じているとね、自分がいなくなるのがわかる。だから必死に自分をつなぎとめる。それがいけないのね、きっと」
「・・・」
「何度も使ってもらってるのに、ちゃんとしないといけないってわかってるんだけれど」
「そうか」
「でも、もし、わたしがわたしを手放したのなら、そこには何が残るのかしら? マディソン? わたしがいないのに?」
「さあな」

酔いがまわってきたのか、平板に言葉を置きながら、空に視線を彷徨わせる。

「ねえ?」
「ああ」
「ヴァンパイアなら、わたしを魅了することができる? わたしの血を吸える?」
「なぜ?」
「体験すれば自分を手放さずにいられるから」
「そこまでしてその端役に拘る理由がわからないな」
「わたしにだってわからない。でも、やらないといけないって思うの。責任ある仕事ってやつ」
「責任ねえ・・・」

その声音はとても穏やかで、感情を抑えてる風でもなかった。そこに、かえって彼女の脆さが見えて、俺は警戒する。

危うい女は引きずられる。やめだ。

「悪いが、俺にも選ぶ権利があるんでね」
「わたし、魅力ない?」
「そういう意味じゃない」
「魅力を感じるのね」
「そういう意味でもない」
「そう・・・じゃ、いいわ。他にアテがあるから、そっちをあたる」
「・・・そうしてくれ」

少しの牙のうずきを感じながらも、面倒事に巻き込まれそうな本能的な予感があって、俺は彼女を拒絶した。

それでも彼女は俺に呼びかける。

「ねえ」
「なんだ」
「あなた、名前は? よく会うのに知らなかったから」

ああ、口を開いてしまうのだな、と、思った。

「・・・ウォーガン」

ゆっくりと俺の肩に置いていた頭を持ち上げ、耳の中に言葉を掃きこむように囁いて、彼女は席を立つ。

「そう。ウォーガン、わたしはただあなただと思ったのよ? 他の誰でもなく。最初から。それじゃあ」

カウンターにコインを置いて、マディソンは扉に向かった。

俺は立ち上がって彼女を追った。

その後、彼女が女優として売れていくにつれ、本人が予言していた通り、そのものは希薄になってゆくようだった。

常に、マディソンの皮をかぶった別の誰かに見えた。
きっとそれは役者の才なんだろうが、この世界に本来生まれ落ちた存在は、どんどんぼんやりとして消えてゆく。

現に、出会った頃の彼女のことは、もうよく思い出せない。
彼女自身が、自分を掻き集めようとも思ってなさそうだった。

自分の周りにいる勝気で自立した女たちと違う、少女のように不安定な彼女を突き放せず、俺はたまにフラリとマンションに立ち寄っては、束の間を過ごす。

正直、これが愛情なのかはわからない。マディソンにもきっとわからないだろう。言葉で確かめ合ったことはない。

ただ、彼女の血はとても甘く、同じ空間にいるだけで、その芳香と脈動に安心する。

俺の、俺だけの血だ。これは。

多分、そういう独占欲が真実なんだろうな。そして、自分の血を吸ったヴァンパイアに抗えないのが、彼女の真実だと思う。

「そろそろ行く?」
「・・・そうだな」

手早く身支度を整えて、彼女の、銀に近いプラチナブロンドの髪を包み込むようにすいてから部屋を出る。

「さよなら、家族が待ってるわ、ウォーガン」

いつもと同じ言葉を呟いて、ドアは閉じる。

「また来る」

俺も、いつもと同じ言葉をドアに呟く。

それは呪文か合言葉のようだ。

儀式は終わる。命の鼓動に触れられるのはここまで。

ブリッジポートに夜がやってくる。

ボーヤのビッチ

-ブロンソンとエドナ

オレンジ

オレはきっと年上好きなんだ。

まだ高校生になりたての頃、ひそかに憧れてたひとがいた。

最初はうちでやったパーティに来てて知った。政府のけっこうエライ人だったんだけど、気さくで、よく本屋で見かけたな。そのうちに声をかけられ、親しくなった。
少しオレンジっぽい金髪がふわふわしていて、でも話すとちょっと底の知れない深みのある人で、なんというか、人として憧れていたってのが正しい。

その人が結婚して引退して、前ほど街なかで姿を見なくなった頃、とあるバンドが頭角をあらわしてきた。

ブリッジポートは浮き沈みの激しい街だから、いつでも入れ替わり立ち代わり人気者が出てはいなくなる。
だからそれ自体は特別なことでもなんでもなかった。

そのバンドのギタリストは、遠目にもわかる目立つオレンジの髪をしている女だった。
その色は、オレが憧れていたあの人を少し思い出させて、自然とその女を目で追いかけるようになった。

ある夜、用があって訪れた劇場の前で、オレは傘を持たずに立っているオレンジの髪の毛を見つけた。
そろそろ秋も終わりだっていうのに、ノースリーブで肌を露出して、あれがバンドマンの心意気ってヤツなのかね。

ま、オレもまだTシャツだったけどさ。

オレはつい声をかけた。

「その頭、すごいね」

オレンジ女はちょっとびっくりしたように振り返って、すぐに目線を下げてオレを見つけた。
その時は、あいつの方がまだ背が高かったんだ。

「うふふ、キレイでしょ」

すぐに彼女はにぱっと笑った。ほんと、「にぱっ」という表現しかできないような、能天気な笑顔だった。

「アタシ、エドナ・アンダース。覚えといて、きっとファンになるから」

そして手をひらひらふった。

「あと、キミの恰好もイカしてるね、ボーヤ。今度、キミのドラムとセッションしよう!」

あ? なんでオレがドラムやってること知ってんだ?
そんな疑問が顔に出たんだろう、やっぱりにぱっと笑って、

「ターコ。指にスティックダコできてるよ。頑張り屋さんは好きなの。それじゃ!」

そうして、するりと男の車に乗り込んでいった。

高校生

学校のイベントで、あいつがオレの高校に来た。

久しぶりにあのオレンジの髪を見つけて、ちょっと嬉しくて、イベントが終わった後、あいつに声をかけようと、ステージに向かったんだ。

そうしたら、あの高校生セレブ、リル・ブリング。まるで自分の女みたいな顔をして、あいつの隣に立っていて。

あいつは派手な大人たちと暮らしているから、多分、自分のことを特別だって思ってる。いくら言われてもサングラスはとらないし、スカしてんだ。
別に仲が悪いわけじゃないけど、なんとなくあわないな、って感じ。

確か、同居している大人の誰かがあいつのバンドメンバーで、だからあいつとも仲がいいんだろうなと想像はついた。
ついたけど、だからって面白いわけじゃない。むしろ、面白くない。

そんな姿を見たものだから、声をかける勢いをなくして立ち止まっていると、オレを見つけたハンナが声をかけてきた。

「ブロンソン、どうしたの?」
「あ、いや、なんでも」

言葉を濁すオレの視線を追って、エドナを見つけたらしい。

「あ、あの人、今日のイベントにきてたギタリストだよね。すごかったね」
「・・・そうだな」
「知り合いかなんか? ブロンソンの家はお父さんもお母さんも有名人だから、そういう知り合い多いんでしょ?」
「前にちょっと話したことがあるだけだよ」
「ふうん。あ、隣で話してるの、リルだね。さっすがだねえ、大人と並んでても絵になるねえ」
「・・・」
「リルんちも有名人だらけだからなあ、知り合いなんだろうね。あ、もしかして、つきあってたりして・・・!」

無邪気にあいつとリルの関係をほのめかすハンナにちょっとイラつく。オレがあいつと釣り合わない子供だとでも言いたいのか。
もちろん、そんな意味じゃないってことは、よくわかってんだけど。

オレは精一杯クールを装って応えた。

「さあね。興味ないや」
「まあ、別世界の話だよねー」

そのまま、ハンナはオレの腕に手をかけて言った。

「ブロンソン、今日、宿題一緒にやらない?」
「いいよ」

ハンナと一緒に帰ろうとしたとき、ふと、あいつがこっちを見た気がした。